命の重さをさらに感じた日
昨日の朝、家にいる猫「シロ」の母猫「かあちゃん」がこの世を去りました。なぜ「かあちゃん」なのかと言うと10年ほど前に家に来たときにすでに身篭っていたからです。
当時、「かあちゃん」は野良猫で、自分が仕事から帰ってきたときに車庫の前を通りかかったのが初めての出会いでした。猫好きの自分が何気に呼んでみると、警戒せずに近寄ってきて、存分に撫でさせてくれました。撫でさせてくれたお礼代わりに、そのときに買ってきていたたこ焼きをあげるとおいしそうに食べて、家の前から去っていきました。
そんな事が何日か続き、ある日帰ってくると、その猫が家の中にいました。「野良猫に餌付けすると住みつくからやめなさい」と言っていたはずの母が、「可愛いから家で飼おう」と家に入れていたのです。それから身篭っていることが判明して、名前が「かあちゃん」になりました。母は「ミミ」と言い張っていましたが・・・
「かあちゃん」は家に来て少ししてから子猫を生み、その子猫たちが大きくなると、縄張りを明け渡すかのように家から姿を消し、いつの間にか他の家に行ってしまっていました。母がその家の方とは面識があったので、その後の「かあちゃん」の調子を聞いたり、連れて来たりしていました。「かあちゃん」を連れて来たときに、その子供である「シロ」を近寄らせたら、思いっきり「シロ」に猫パンチをお見舞いしてくれたのが、思い出となっています。「これが野生の掟か・・・」とかくだらないことを思ったりもしましたし。
夕食に魚を食べていると横でじっと待っていて、決して自分で取ろうとしないし、ポテトチップスの袋を開けると「にぃ~あ~ん」と猫撫で声を発して、それでも横でじっと待っている姿を思い出すと、野良猫になる前には飼い猫で、躾がしっかりとされていたのだろうと思わされる一面もありました。思い出せばきりが無いです・・・
猫は人間よりも寿命が短い動物ですが、その短い命の中で、自分たちの生活に潤いをくれたことは、猫よりも長い寿命を持つ人間である自分にとって、「ありがとう」という一言に尽きると思います。はっきり言ってそれ以上のことは自分にはできませんから。
5月末に祖母が他界し、昨日は元飼い猫が他界。今年は命の重さ、失うことの悲しさを痛感する年になった気がします。
「かあちゃん」いままでありがとう・・・ゆっくり休んで。
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